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靖国神社について考える、8月17日(水) [教育・議論]

「終戦記念日について思う事」「日中戦争について考える」にて、皆さん色々な意見をありがとうございました。真剣に、日本について考えてくれる人が他にいる事がわかり、嬉しいです。戦争で亡くなった人を弔う為にも、過去を知り、それから学び、より良い国にする為の教訓として未来に活かす事が必要と思います。より多くの人が日本人であることを誇りに思い、共に未来を考えて行ける事を心から望んでいます。

いただいたコメント返答に必要な知識等を歴史順に並べてみました。

1、 日本の宗教観(日本古来の神道など)、明治における靖国の生い立ち。(かりんこさん、akio_no_s30zさん)
2、 日中戦争、太平洋戦争時の日本。(tukushiさん、どさん)
3、 戦中・戦後の日中関係。(from Mexicoさん、どさん)
4、 戦後の靖国、日本人の態度。(黒い招き猫さん、akio_no_s30zさん、bikkinさん)

皆さんへの返事を時代順に書こうと思う。まず、今日は1を。
調べれば調べる程、明治は激動だった事が明らかになる。「大政奉還」により、単に武家政治が終わった訳ではないのだ。靖国を解く明治にキーワードには、「廃仏毀釈」で代表される、「神仏分離令」「神道国教」「祭政一致」がある。

元々、神道は日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統な民俗信仰をを基盤として成立した日本固有の多神教の宗教である。延喜式(907年)以降、天皇が祭司権を支配している。

欧州では政治体制の基盤にキリスト教の存在があった。が、開国によるキリスト教の影響を懸念し、キリスト教を排する方向にあった政府は、代償となる精神的基盤に天皇を据え、「神道国教」化が始まった。1868年(明治元年)、「神仏分離令」施行、「神道国教」「祭政一致」の政策を押し進めた結果、「神仏習合」(注1)であった日本は、「国家神道」一色の世界へ。

靖国神社は明治2年(東京招魂社)、明治天皇により建設された。明治12年に靖国神社に改称。明治維新以来、日清戦争、北清事変、日露戦争、大東亜戦争など、現在総勢250万人近くが祀られている。かりんこさんがおっしゃるような、政教分離は、今も議論がなされる所で、非常に難しい問題であるが、どのような文化でも多少の宗教的要素を持つため、明確な金銭やり取りが成立するまでは問題ない、という考えも有り、完全分離は難しいのではないかと思う。(参照:「政教分離原則」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2

私が考える、靖国の問題は、日本古来の風習とも考えられる「神社への参拝そのもの」よりも、
1、「その生い立ちを覆すような明確な定義の変更が戦後行なわれなかった事」と、
2、「合祀の自由が認められていない事」だと思う。

1だが、靖国は、明らかに「国家神道」の元で作られた「戦没者の為の社」だ。「戦没者の為の社」は良いとして、戦後、「国家神道」の部分を覆すような動きが無かったのが、まずいただけない。名称を代えて、一介の護国神社に降格させても良かったし、大東亜戦争戦没者19万弱を別の所に祀っても良かった。戦没者は全国の他の神社にも祀られているのだから、それらと同等にする、或いは、それらに戦没者を分けて合祀する、などだ。靖国神社の特別視、「国家神道」色=「戦争を始めた元凶」が抜けない内は、中国からの批判は続くのだろう(注2)。
そして、2について。靖国に祀られている人の遺族の中には「祀って欲しくない」という方がいらっしゃると聞く。そういう方(靖国が嫌い、他宗教信仰など)に、名前を英霊簿から削除する権利を与える、合祀の自由が認められるべきだと思うのだ。そういう方には、別に記念碑を立て、そこに名前を祀る。首相は、靖国だけでなく、当然そこにも参拝する。

かりんこさんのおっしゃる、戦争記念館(遊就館)見学、哀悼の意を示す、という案も面白いと思う。が、遊就館が靖国境内にある以上、事態はあまり変わらないかもしれない。

結論:かりんこさん、akio_no_s30zさんのおっしゃる様に、現在の首相参拝は、中国/韓国を刺激するのも確かでしょう。しかし、地道に「戦没者哀悼」の意味を説明し続け、いずれは、国の代表として、「国の為に戦った人の犠牲を労う」為にも、首相には今とは違った形の靖国神社(+他の神社など)を参拝して欲しいと思うのだ。

(注1)「神仏習合」土着の神祇信仰と仏教信仰を折衷して一つの信仰として再構築する事。神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示し、8世紀後半には、その寺院に関係のある神を寺院の守護神:鎮守とするようになった(例:興福寺—春日大社、東寺—伏見稲荷神社)。

(注2)産經新聞の掲示板で、少し似た意見を見つけた。
http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/kiji_display.cgi?thread_id=200306-003&kiji_id=00281
内容ダイジェスト:『本当の政教分離は不可能です。公務員は初詣やお彼岸の墓参りも出来なくなります。問題なのは一部の宗教を優遇または特別待遇することです。総理大臣が毎年終戦記念日に靖国に恒例の如く参拝するのは特別待遇でしょう。全国にはいくつも戦死された方々の神社や記念碑があると思いますから、それを分け隔てなく、ひとつひとつ回って行く、そしてその第一番として靖国神社から始める、のであればいくらか納得してもらえるかもしれません。ついでにうちの仏壇にもお願いします。
首相が本当に心の底から戦死された方々の冥福を祈る気持ちがあるのであれば、一部の宗教団体を特別扱いしてそれ以外を差別するのは納得できません。
小泉さん個人の宗教の自由がありますから、私人としての参拝は問題ないと思いますが、首相をやめた後も毎年欠かさず参拝してくだい。』


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瑠璃子

こんにちは。お邪魔します。長文失礼します。
そういえばこの間公明党が「首相の靖国参拝は、政教分離に反する。今の憲法の政教分離を厳格に守るべきだ」という主張を行ったようですが、もうなにをかいわんですね。靖国に合祀されていることについて反対している遺族もいますが、その人達の宗教・思想的背景について考えなければいけないと私は思っております。例えばキリスト教でも故大平首相のように参拝している人もいれば合祀に賛成しているひとたちもいる。靖国問題はそういう意味で宗教的思想的利害が複雑に絡み合った難問、といえます。
そういえば以前wikipediaの靖国神社問題について「政治の場に宗教を持ち込むのはアメリカとアラブと日本だけだ」と書いてあってびっくりしました。いまみたらさすがに訂正されておりましたね。まあそんなことはさておき。
神道的な問題で分祀は不可能だと思います。宗教的概念では。例えば私が水たまりに水一滴落としたとして、そのあとでみずたまりから私が落とした一滴の水をわけようとしても不可能であると。そういうことだと考えております。
で、A級戦犯についてですが、これは側面だけ見れば日本を戦争に導いた人間が祀られて神様となっている、ということになりますが、神道的考え方からみると「ハレとケ」といった部分からの見方もできるのではないかと。
例えば酷い戦乱の場となったところに桜を植える風習が日本にはありますね。上野の山しかり。吉野山しかり。怨念を抱えた魂を美しい花に変えることで浄化させる。A級戦犯と呼ばれる人たちが怨念を抱えているのではなく、彼らに対する怨念-中国や韓国はいまだにそうですし-を神としてあがめることにより浄化する、という作用もあるのではないでしょうか。私は一個人の責任のとりかたとして自らの命を捧げる以外、ほかになにがあるのだろうか、と考えています。死者に鞭打ちのを嫌う風土も日本にはあります。
以上の点から私はA級戦犯の分祀には反対です。
by 瑠璃子 (2005-08-18 17:26) 

黒い招き猫

今年の小泉さんは千鳥ヶ淵での参拝でした。(できれば靖国へ行って欲しかった。)
まあ.いろいろありますがもう少し戦争の歴史を見たり.聞いたり.勉強しておかねばならないということですね。

さて千鳥ヶ淵戦没者墓地に小さいけれど.よく手入れされた花畑があります。
ここも撮影スポットの一つなのです。
(難しい話ばっかりだとね...ごめんなさいね)
by 黒い招き猫 (2005-08-18 20:25) 

黒い招き猫

えーすみません。
墓地ではなく墓苑でした。
by 黒い招き猫 (2005-08-18 20:48) 

どらとら

留璃子さん、コメントありがとうございました。
靖国神社問題は難しいですよね。「遺族の宗教背景を考慮」には賛成です。
よって、合祀否定決定が、自由にできたら良いと思います。自由の無い所が、余計、靖国神社が未だ「国家神道」の域を出ていないと判断する理由にもなっています。
「一個人の責任のとりかたとして自らの命を捧げる以外、ほかになにがあるのだろう」の部分には同意します。が、これがA級戦犯分祀反対の理由にはならないと思います。「死んで神になる」のが前提であれば、死者をどこに祀ろうと、どこでだって神になれるのですから。
私が、A級戦犯が、靖国神社での構わないと思う理由は、絞首刑にならなかったA級戦犯の二人は、政界に復帰している。このことから、政府は「東京裁判を違憲とし、戦犯の名誉は回復された」と考えたのだと判断するからです。ただし、A級戦犯合祀決定に国民の意見の余地はありませんでしたし、合祀事実と理由を国民に知らせる義務を、政府は怠っていますから、ここに大きな問題があり、現在の議論を呼び起こしていると思います。

黒い招き猫さん、コメントをありがとうございました。
すみませんねぇ、毎日こんな話で。今日で終わらせますから。
千鳥ケ淵墓苑をホームページで調べましたが、綺麗な所の様ですね。花畑があるのですか。櫻も綺麗そうですよね。
先日、靖国神社に参拝した時、千鳥ケ淵墓苑にも足を運びたかったのですが、時間がなくてできなかったのは残念でした。次はお参りに行きたいと思います。
by どらとら (2005-08-19 07:18) 

瑠璃子

コメントありがとうございます。
まず忘れてはならないのは靖国神社は宗教施設である、ということです。そこが宗教施設ならば、外の論理を持ち込むことはおおよそ不可能ではないかと。頂いたどらとらさんのコメントを読みちょっとスタンスが見えにくかったので質問したいのですが、どらとらさんはどうすべきとお考えなのでしょうか。分祀したほうがよいとお考えなのでしょうか?合祀の自由=分祀せよ、ということなのでしょうか。合祀取り下げの自由、ということでしょうか。
合祀の自由というとこれから新たに戦死者が加わった場合、という意味合いになりませんか?(現在戦没者は合祀されている故)もし分祀という意味合いで使われているなら合祀の自由というのは論点が見えづらくなりませんでしょうか。現状、靖国神社の祭神は増えることはないのですから。
by 瑠璃子 (2005-08-19 22:37) 

かりんこ

私がうまく言えなかったことも含め、更に掘り下げて解説してくれて
どうもありがとうです。
どらとらさんは色々深く勉強していて凄いなぁと思いました。

瑠璃子さんの「まず忘れてはならないのは靖国神社は宗教施設である、ということです。」にはとっても同意です。宗教が絡むということは、即ち物事が治外法権化してしまうということだと思います。そんな怪しげなもんを間に挟みながらの議論はとっても難しいと思います・・。
by かりんこ (2005-08-20 00:06) 

どらとら

留璃子さん、こんにちは。
「靖国は宗教施設」ですが、宗教にも色々スタンスがありますでしょう。「宗教施設に外の意見を持ち込む事は不可能」というのは、その宗教施設が、歩み寄る姿勢ゼロの場合でしょう。靖国の宮司さんのスタンスで、変化できるのでは?とは思いますが。
私の言う「合祀の自由」は、遺族に「合祀続行」「合祀拒否」の決定を任せてもよいのではないか、という事です。本人は亡くなっていますので、本人の意思尊重は既に不可能ですが、遺族が嫌だと思っているのなら、英霊簿から除名の自由があっても良いのでは、と。そして、もし遺族が「国家神道を思い出させるので、靖国以外に祀って欲しい」と望むのであれば、然るべき場所に移せば良いと。天皇から命令がくだる「立憲君主」の時代は終りましたから、国民にもう少し権利が与えられてもよいと思います。「戦争で亡くなった=政府が決めたから嫌でも絶対に靖国に祀られる」というのは、国体そのものなのではないかと考えます。
ですから、これから英霊が増える事はあまり想定しておりませんが、残念ながら確か、戦後、合祀数は増えていたと思います(もう少し確認してみます)。
by どらとら (2005-08-20 00:25) 

どらとら

かりんこさん、コメントありがとうございました。
確かに、宗教を不可侵のものとしてしまうと、得体のしれない怖さがありますよね。そしておっしゃる通り、政教分離の明確な線引きは、未だ議論中で、非常に難しい問題です。
ただ、私は、靖国の怖さは「宗教として暴走する怖さ」よりも、「バックに政府が付いている怖さ」のように感じています。というのも、靖国神社には宮司さんがいますが、そのお方に対する総代会のメンバー(政界、司法界、産業界のドンで構成される)の影響が強いようなのです(実際、総代会で合祀の決定がされています。宮司さんは議論に参加できなかったと思います)。宗教由来の「排他的である怖さ」よりも、何か他のもの(特に政府)によって「操られている怖さ」を感じます。これでは、「国家神道」の域(天皇は介入しませんが、政府は介入)を出ていない気がするのですが…。宮司さんが、国民に歩みよろうとしても、そんな案は政府にもみ消される可能性がありそうですし。
by どらとら (2005-08-20 00:46) 

瑠璃子

こんばんは。どらとらさま、何度もスミマセン。
>宗教にも色々スタンスがありますでしょう。
確かにスタンスはいろいろとあるでしょう。厳格にキリスト教を信じ進化論まで否定する人もいれば、進化論を認め日曜には礼拝し、お年玉をあげる人もいるでしょう。ただ、では柔軟な宗教者でも、宗教概念上あり得ないことをやれといわれてもそれは不可能だ、という話です。例えばイスラム教徒にここは東京だから偶像崇拝しろというのと同じです。そういう宗教的な行為にたいし、外の人間がいうことはできない、私はソコが言いたいのです。それは
>その宗教施設が、歩み寄る姿勢ゼロの場合でしょう。
とはまったく別な話ではないでしょうか。歩み寄ることと、宗教概念上想定されてない行為を強いるのは別問題だと思うのです。

>戦後、合祀数は増えていたと思います(もう少し確認してみます)。
戦死者を祀るのは第二次世界大戦まででその後戦死者はでてないですし、祀られない、ということです。例えば自衛隊員が亡くなられて追加されてますか?私が言いたいのはそういうことです。

>もし遺族が「国家神道を思い出させるので、靖国以外に祀って欲しい」と望むのであれば、然るべき場所に移せば良いと。
例えば、本人が靖国に祀られることを望んでいて、しかし遺族が後に宗教に入ってしまい分祀を希望する場合はどうなるのでしょうか。或いは遺族といってもどこまでの遺族に対して適用すべきなのか。子までか孫までか。例えば妻は合祀を望んでいるが子供がそうではない、という場合は?そういう意味で遺族適用は問題があるのではないでしょうか。
そして大変失礼ですがなぜ合祀続行を遺族側に問うのかがよくわからないのです。合祀取り下げか否かで十分ではありませんか?
この問題でいつも思うのは、どらとらさまがいみじくも「本人の意思尊重は既に不可能」とおっしゃられたように、なぜか本人の意志、あるいは当時を知る人たちの意志が切り取られていることです。靖国問題は、ウェブ上の情報だけではなく、昭和20年、30年代の新聞などの動向も見なければ一概に言い切れないと思います。なぜならば戦後60年が経ち、皮膚感覚で第二次世界大戦を捉えられる人が少なくなっているからです。現在の物差しで当時の状況を測ってイイものかどうか。私はいつも考えてしまいます。いみじくも靖国問題参拝問題が大々的に取り上げられ政治問題化し始めたのはそういう皮膚感覚が薄れてきた頃と期を同一にするかのごとく、です。

長文で大変失礼致します。お気を悪くされましたら深くお詫び申し上げます。
申し訳ありません。
by 瑠璃子 (2005-08-20 01:52) 

どらとら

留璃子さん、こんにちは。他人の意見と違う事を述べるからと行って、自分の意見を言う時に、謝る必要は全くないですよ。意見は意見、本人の人格自体を否定する訳ではありません。
「宗教概念上あり得ないことをやれといわれてもそれは不可能だ」は、わかりますよ。靖国の場合、裏で政府が口を挟んでいます。靖国神社の場合で「宗教概念上想定されてない行為を強いる」とは、何ですか?

「例えば、本人が靖国に祀られることを望んでいて、しかし遺族が後に宗教に入ってしまい分祀を希望する場合はどうなるのでしょうか。」
フフフ、臓器提供問題を思い出します。大人ですから、本人達で決めて下さい。できなければ、親等の近い人の意見に従う、などと決めては如何?

「なぜ合祀続行を遺族側に問うのかがよくわからない」
これは、言葉足らずでしたね。私が考えていた「合祀続行の是非」は、「合祀されたくない遺族」に対してのみです。その他の人にはそのままで。

「靖国問題は、昭和20年、30年代の新聞などの動向も見なければ一概に言い切れない」確かに、過去の動向を知る事は重要ですね。

靖国の合祀は本当に謎が多い。戦後無事に生還した人の名前が削除されないのは何故か。病死した軍神、東郷平八郎などは祀られないのに、病死したA級戦犯二人が合祀されているのは何故か。宗教だけでは絶対に説明できない、不明瞭さがあります。それにしても、74年に廃案になった「靖国神社法」は興味深い。「靖国神社は宗教法人法にいう「宗教団体」には該当しない」と言い切っています。これが現在の政府に襲踏されているのでしょうか。

追伸:戦後追加され続けている名前は、後から分かった戦死者ですね。それにしても、対馬丸の学童の名前もあるのは、どうなのかなぁ。
by どらとら (2005-08-20 04:21) 

かりんこ

>「確かに、宗教を不可侵のものとしてしまうと、得体のしれない怖さがありますよね。」

私の言葉が全然足りませんでした。
宗教「団体」だの宗教「法人」だのは、社会的存在であるべきと思いますが、個人の信仰心は絶対不可侵だと思います。
靖国では、祀ってほしくない人を勝手に祀ったりして、個人の不可侵な領域に対する尊重がお粗末という時点で、少なくとも宗教団体としては失格だと私は思います。

あと、『宗教由来の「排他的である怖さ」』・・とのことですが、「排他的である怖さ」とは、何も宗教そのものに由来しているのではなく、企業であろうが国家であろうが排他的な組織は皆怖いものだと思います。
もちろん、排他的な宗教団体は非常に怖いですね。カルトとか。

靖国問題では裏で政府が手を引いているのが大問題というどらとらさんの意見には大賛成です。総代会のメンバーが、政界、司法界、産業界のドンで構成されるという事実は初めて知りました。怪しすぎますね。
by かりんこ (2005-08-20 12:04) 

どらとら

かりんこさん、またしてもいらっしゃいませ。
「個人の信仰心は絶対不可侵だと思います」。なるほど、その通りですね。失礼、誤解していました。それを考えれば、キリスト教徒さんがおこした、靖国合祀取り下げが、裁判で否定されたのは、「?」です。
政府の見解は、(私が思うに)「靖国神社法」に述べられている、「靖国神社は宗教法人法にいう『宗教団体』には該当しない」のままなのでしょうね。だから、個人の信仰心より、政府の決定の方が、強力である、と。
総代会のメンバーは、表向き非公開(!!よけい怪しい!)なのだそうです。わかる範囲で、かつてのA級戦犯の名前、判事、産業界の有名人の名前があります。おおまかに、経済枠、政治枠、司法枠、戦争遺児枠などがあるようです。
情報公開して欲しいな…。
by どらとら (2005-08-20 22:31) 

書き逃げスイマセン。

素晴らしい議論が展開されていて、感動しました。
皆さん、すごく勉強されているんですね、というか自分がしなさすぎなのかな。

「靖国では、祀ってほしくない人を勝手に祀ったりして、個人の不可侵な領域に対する尊重がお粗末という時点で、少なくとも宗教団体としては失格だと私は思います。」

自分の意見としては、最終的に「靖国問題」は「宗教論争」(思想・哲学論)にいきつくと思いました。
つまり、靖国は「宗教として、どうなのか」と。
もちろん、これに「政府・国家」が絡もうとするから、問題がこじれるわけですが…。(政府中枢の「靖国信者」には、少し発言を遠慮して頂きたいw)

「いい宗教」なのか、「悪い宗教」なのか。
宗教が「個人の幸福のためにある」ならば、遺族の意向を無視し続けるのであれば、靖国に未来はないと思いました。
「宗教」のために「個人」があるのか、「個人」のために「宗教」があるのか。
「神は人が作った」ものだとすれば、当然、後者であるべきです。
by 書き逃げスイマセン。 (2005-08-27 14:53) 

どらとら

書き逃げスミマセンさん、コメントありがとうございます。
靖国問題は、戦前、戦後直後の状況の知識を得ずには議論できない、難しい問題だと思います。おっしゃる通り、「靖国は『宗教として、どうなのか』」を考えるべきでしょうね。
靖国法案の通り、政府の見解は、「靖国は宗教法人に当たらない」であり、事実上は、「宗教法人である」事から、問題がこじれているように思います。
「『個人』のために『宗教』がある」には、私も賛成です。
by どらとら (2005-08-28 01:21) 

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