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日中戦争について考える、8月16日(火) [教育・議論]

昨日は様々なコメントを本当にどうもありがとうございました。皆様からいただいたコメントに自分なりに解答するため、靖国問題の発端となる、日中問題、その先にある日中戦争の背景を勉強しようと、TBされたリンク先、その他のウェブを見て回ってみました。

それにしても、歴史は本当に深い。

戦争が始まるというのは、本当に凄いことだ。なんと、高度に政治的な事か。そして、今まで知らなかった事実が次々と出てくる。
日中戦争について簡単にまとめると、以下のようになる(間違いを見つけたら訂正して下さい)。

<最初に>
アヘン戦争以降、米英仏独伊は租界(外国人が行政権と警察権を握っている、治外法権地域)を中国の大都市、開港場各地に開設し、外交・経済的に大きな利権を得ていた。

1931年9月18日ー柳条湖事件,満州事件、大日本帝国は、中国東北部に満州国を建国

1933年5月31日ー中国国民党政府は日本と屈辱的な停戦協定(タンクー協定)を結ぶ。
→中国国民党政府は,共産主義勢力の排除,内政優先を基本方針として採用。一方の、米英列国はヒトラーを首相とするドイツに釘付け、中国問題に介入せず。よって、中国国民党政府は日本に大幅譲歩せざるをえず、中国は,事実上,満州国の日本支配を黙認した。

1937年7月7日ー盧溝橋事件(北支事変→日中戦争へ)(夜間演習中に日本兵1名が行方不明になり、日本軍が強行に捜索を行なった事により、現地の日中両部隊が散発的銃撃となった事件。)
→実は、この時、日本陸軍参謀本部は、現地での日本兵力の不足、列強の反発等を危惧して、戦火の拡大を防ごうと考え、現地で停戦交渉をしており、7月11日には交渉が成立していた。しかし、日本政府と中国政府がともに戦争回避を「軟弱外交」として避けて,双方の指導者が軍事力を準備した。 強攻外交をすべく、日本では首相近衛文麿が華北への増援部隊出兵を閣議決定した(!!!!)。

1937年7月29日ー通州事件(日本に協力的なはずの「冀東防共自治政府」の保安隊反乱をおこし、日本人居留民260名を惨殺した事件。)
→「暴支膺懲」(暴虐な支那を懲らしめよ)という、日本の反中国感情が一気に高まった。日本軍の華北侵攻を正当化する反中プロパガンダが日本で席巻。

1937年8月14日ー第二次上海事変勃発。(日本軍による、上海、南京、南昌爆撃。)
→上海や南京には、米,英,日,独、伊などの共同租界とフランス租界があり、3万人以上の外国人が駐屯していた。地上戦、空爆、艦砲射撃によって、上海は破壊され、隣接する外国租界も大きな被害を受けた。上海の金融,商業の中心として反映していた租界は、中国の経済中枢でもあり、紛争に伴うビジジネスの衰退、行政の停滞などは,英米にも大きな損害をもたらした。中国だけでなく、日本軍の上海侵攻により、自国の権益を損なった英米も日本を非難するようになる。日本は暴支膺懲を主張したが、列国は暴日膺懲を支持するようになっていった。

1937年ー南京虐殺
→軍法違反者の嵐による最悪の事態。「戦果を示せれば示せる程、軍人として優れている」という思想が蔓延、日本軍の常軌を逸した行動が続いた。
どこの国でも,本国に帰国した兵士たちは,戦争で敵をやっつけ大活躍をしたという自慢話、手柄話を残している。国家の栄光、平和、正義のための戦争では、敵撃滅(敵兵殺害・捕虜処刑)は戦闘行為の延長であり、残虐行為とは認識されていない、という見地に立っての行動だった。
日本は報道管制をしいていたが、密かに流れた残虐な戦果写真が英米に流れ、反日プロパガンダに使われた。

<軍部の逸脱した行動の裏で…>
1937年11月ー日本は中国への派兵を進める一方で、ドイツを通じた中国との和平交渉も進めていた(駐中国ドイツ大使トラウトマンを仲介する日中和平交渉) 。
1937年12月13日の南京攻略によって自信をつけた日本政府は、中国に対してより高圧的態度で交渉に臨む。が、中国は、首都を攻略されたのにも関わらず、全面降伏せず、代わりに降伏条件を交渉しようとした為、中国との和平交渉を打ち切ってしまった。(!!!!!)

米英にとって、日本軍は、貿易や商業の中枢である上海、南京を占領し、自分達の利権を奪った上に、中国に対して猟奇的な残虐行為を行なった、「完全な悪」となった。従って、米英でも反日プロパガンダが更に強まる。
これだけでも、「反日」が高まっている上に、日本が欧州支配を目指すドイツと同盟するのであれば、「悪の枢軸」として断固排除しなければならない、こうした気運が日々高まっていったのであった。


ここまで日中戦争について整理してみて、はっきりと浮き出てくる事があった。それは、

「当時の日本政府は、戦争を止めようと思えば出来た。が、国体・日本軍の面子を重んじたが為に、戦争に向かう流れを止めようとしなかった。」

という事だ。

当時の軍部は明らかに暴走し過ぎた(長いので靖国神社関連のコメントの返答は明日に続きます。もう少しお待ち下さい)。

リンク:「鳥飼行博研究室」
http://www.geocities.jp/torikai007/
(歴史の部分は、非常に秀逸です。ただ、大容量なので、ブロードバンドでない方にはお薦めしません)

「南京大虐殺」
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2005/06/post_e818.html

「真実はどこに」(特攻隊の在り方をフィリピン側からみると…)
http://nandakorea.sakura.ne.jp/media/sinjituwadokoni.swf
(歴史を多角的に見る、とはこういう事か、と感慨深いです。大容量なので、ブロードバンドでない方にはお薦めしません)

「日中友好のために5」
http://morokuzu.exblog.jp/3302078
(リンクの網羅が素晴らしい)


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ホンシメジ

写真証拠をもって南京虐殺があったとの主張には以下の書籍をお勧めします。
南京事件「証拠写真」を検証する 東中野 修道
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794213816/qid=1124236440/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-2262202-8740335
by ホンシメジ (2005-08-17 08:59) 

生ものですのでお早めに

よみうりTV たかじんのそこまで言って委員会
<テーマ> 南京事件の証拠とされる写真の検証
見れない地域の方、是非ともご覧下さい。 (27.7MB)
http://www2.ranobe.com/test/src/up1958.zip.html
by 生ものですのでお早めに (2005-08-17 13:39) 

どらとら

ntさん、コメントありがとうございました。
南京虐殺がプロパガンダに使われたのは、本当だと思いますし、確固たる虐殺数もわかっていない、というのも事実と思います。証拠が少ないため、殺された人の数は検証する人によって大きく異なっていますし、真実は闇の中なのでしょう。
しかし、かの地での軍部の規律が、そこまで統率されていたとは思えません。逆に、「それくらいの残虐行為ができないのであれば、日本軍人にあらず」という圧力もあったのではないかと推測いたします。
南京虐殺に関して、中国側の言い分が誇張されていることは、可能として高いです。
しかし、日本側が、虐殺が全くなかった、と言い切れる可能性は低いと思っています。

生ものですのでお早めにさん、コメントありがとうございました。
リンクが開けないのですが、ntさんと同じ系列のコメントと推測いたしますので、ntさんの所のコメントにて省略させていただきます。
by どらとら (2005-08-17 18:09) 

morokuzu

どらとら さん、リンク及びコメントありがとうございます。

学校で使われてきた歴史の教科書が正しいかどうかは別にして、真実は一つですから、自分なりに調べるのが一番正しいと思います。多角的に見る事は非常に重要です。報道や教科書だけでしか、理解しようとしないと一面的になりすぎますから・・・。

私の見解でも、軍部の政治的な暴走はひどく、山本五十六や井上成美ら海軍の軍人が憤慨していたのも理解出来ます。しかし、現場の軍隊に士気はかなり高かったと思います。硫黄島の玉砕など、士気が高くなければ、あのような戦いは出来ないと思うからです。
だから、中国が主張するような、数十万人が犠牲になった南京大虐殺は、存在しないと思います。中国側の捏造写真の利用も凄まじく、その歴史の歪曲ぶりが南京事件自体を疑わせる事にもつながっていると思います。とは言っても、私としては「依存症の独り言」さんのブログの主張が一番真実に近いのではと思います。

http://morokuzu.exblog.jp/
by morokuzu (2005-08-18 00:09) 

フム

その地獄から生き残った人が
いまだに生存しているのに
負けた人たちはどう取り扱われても構わないというのが
その時分、日本軍の考え方だったのだ。
戦国時代のと違いがほとんどなかったのだ。
by フム (2005-08-18 01:22) 

どらとら

morokuzuさん、いらっしゃいませ、そしてTBとコメントをどうもありがとうございました。
「硫黄島の玉砕など、士気が高くなければできなかった」
「中国が主張するような、数十万人が犠牲になった南京大虐殺は、存在しない」
どちらにも同意します。
南京虐殺の殺人数に関しては、被害者側は大きく、加害者側は小さく見積もるのが、世の常だと思っています。そして、凄まじいプロパガンダで、更に真実が隠されてしまった感がありますよね。1937年にオーストラリア写真家が、虐殺の写真を欧米に流し、「反日」感情を米英であおることに成功しましたが、後に、中国側のスパイだったことが判明したことなど、当時のプロパガンダ合戦は強烈なものと推測します。
いずれにせよ、過去に起こってしまったことは取り消せませんが、未来は動かせます。自分なりに知識を取りいれ、何があったのかをできるだけ推測し、今の日本にできる事はなにかを、考えていきたいと思います。日本人に生まれた事を誇りに思えるように。

フムさん、コメントありがとうございました。
文中にもありますが、「国家の栄光、平和、正義のための戦争では、敵撃滅は戦闘行為の延長であり、残虐行為とは認識されていない」というのは、どの国でも、戦争となると当然の事になるのでしょう。精神的に、それくらい自分を追いつめないと、人を殺し続ける、というのはできないのではないでしょうか。
by どらとら (2005-08-18 04:31) 

マーク

やはり、日中の戦争は、日本側が戦争にならないよう努力したにもかかわらず、中国の不法なテロによってもたらされたものだということが分かりました。
特の通州事件のような残虐行為は許してはならないでしょう。日本が中国に侵略された、というのが国際的歴史認識ということです。
by マーク (2005-08-18 10:06) 

どらとら

マークさん、こんにちは。
「やられたらやりかえす」が、戦争の根底にはあります。が、日本が、対中国、対米国と和平交渉に真剣に取り組んでいれば、日本は焦土に化すことはなかったと思います。
南京虐殺の真相には謎が残っていますが、日本が中国を侵略した事実は消えませんし、それに対する謝罪はしかるべきです。
by どらとら (2005-08-18 19:14) 

瑠璃子

再度お邪魔します。
南京については真相は確かに謎です。しかし当時の状況、例えば新聞報道、国連の動き、アグネス・スメドレーといったコミンテルンの動き、毛沢東をはじめとする中国共産党の動き、それらをまずは調べてそこからだんだんと両者の言い分を聞かなければならないと思います。
そして一つお聞きしたいのは、謝罪については既に行われていると思いますが、これ以上の謝罪が必要だとどらとらさまはお考えなのでしょうか。
by 瑠璃子 (2005-08-18 19:44) 

どらとら

留璃子さん、コメントありがとうございました。
謝罪についてですね。過去に謝罪はしており、これ以上は必要ないと思います(私の今の知識ではそう考えています)。
しかし、政治を動かす人が変われば、過去の都合の悪い事(この場合、中国にとっての、日本の謝罪の事実)は忘れ去られて行きます。これ以上日中間のこじれを防ぐ為に、日本から中国への謝罪は、いつ、どこで、このような文面を持って行った、と中国側及び、日本国民に記憶を呼び起こす事は必要だと思っています。
by どらとら (2005-08-18 23:32) 

マーク

どらとら様、どうもこんにちは。日本は和平に積極的だったと思います。でもそれを握り潰してハル・ノートをつきつけられたのです。また、日本の侵略性は消えないとしても、中国の侵略した事実も消えないわけです。日本はもう何度も謝罪していますが、中国はなにも謝罪していません。このいびつな関係を修復するには、中国にも謝罪させなければ永遠に信頼関係は結べないと思います。
by マーク (2005-08-19 13:01) 

どらとら

マークさん、またしてもいらっしゃいませ。
日本は、米国に対する和平には積極的、中国に対する和平は消極的だったのではないかと思います。
「中国の侵略」とは、具体的にどの行為のことなのでしょうか?通州事件だけですか?
それなら保安隊を全員処刑すればよかっただけでは?
両国の関係は、確かにいびつですね。現在は、戦争だけでなく、経済利益も絡めて非常に複雑ですしね。
by どらとら (2005-08-20 04:27) 

マーク

お返事おくれましてすみません。
中国に対する和平も積極的でした。その証拠に盧溝橋事件でもすぐに和解しました。侵略のつもりならこれ幸いと戦線拡大したでしょう。ハル・ノートをつきつけられる前の日本側の和解案にも、シナ撤退要求を飲むことが記載されていました。盧溝橋事件は中国共産党の仕業というのが通説ですから、これだけでもシナが仕掛けた戦争といっていいと思います。もちろん、これだけではすみません。

尼港事件、南京事件、済南事件、通州事件などの虐殺事件があります。http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo11.html

さらに、さまざまな抗日テロがありました。

1935年5月  親日派新聞編集者2名天津で殺害される
     8月  満州から天津に向けた国際列車襲撃、乗客約20人殺害される
    11月  中山海軍准尉上海国際租界で射殺される
    12月  在天津日本軍守備隊総司令官多田陸軍中将宅に爆弾、中国人召使い負傷
         上海・漢口での大規模反日デモ
         上海の日本海軍本部公館に爆弾

1936年1月  天津付近で2件の日本人商店が中国正規軍により掠奪される
         南京3000人の反日デモ
         仙頭で2000人の反日デモ
         仙頭で日本領事館勤務日本人警官射殺される
         広東の中国警察と税関警備兵が36カ所の中国人事務所を襲い、日本商品を没収
     6月  北京近くで日本兵が中国軍正規軍兵士により、重傷を負う。
         山東省で日本人1人射殺さる
     7月  天津の日本総領事館勤務の警官2名銃撃され、1名死亡、1名重傷
         三井物産上海支店日本人社員射殺される
     8月  天津の日本語学校襲撃され、日本人教師拉致される
         成都で1万人の暴徒に襲われ、新聞社特派員3人殺害、一般人2名重傷
     9月  漢口の日本領事館の警官が射殺される
         上海で日本海軍兵1名射殺、2名重傷
         湖南省で日本の汽船会社事務所放火される
         長沙の日本総領事館に爆弾
         広東省で日本人薬局経営者が惨殺される
    10月  青島の紡績工場反日ストで2週間操業停止 
    11月  日本人船乗り、上海で射殺される

1937年2月  漢口で日本人事業家の妻が中国人に襲われた
       3月  広西省ですべての日本人追放
       5月  仙頭の日本領事館勤務の警官に対する暴行
           大連沖で2隻の日本漁船に対して、中国税関警備兵による発砲
       6月  天津付近の日本人農場襲撃、放
http://www.jiyuu-shikan.org/
by マーク (2005-09-01 11:19) 

どらとら

マークさん、こんにちは。
盧溝橋事件に関しては、在中日本軍司令部と、在日日本軍司令部で意見の相違があったように感じます。在中日本軍司令部は、和平しようとしたようですが、在日日本軍司令部には和平の意志は弱かったように思います。

「盧溝橋事件は中国共産党の仕業というのが通説」どこの学会の通説ですか?

歴史を多角的に見る事は必要ですし、戦争ともなれば、「お互いやられてやり返す」が根底にあります。そして、中国国民党の抗日プロパガンダ、米国の抗日プロパガンダ、そして、中国共産党のプロパガンダ、それらは、日中戦争を悪化させた原因の一因として、もちろんありましょう。ですが、列強の圧力を感じて中国に満州を建国したのは日本です。侵略した結果、抵抗に合い、相手にこれだけやり返されたから、その分、謝れ、というのは少し難しくはないですか?
戦争は、お互いがあって成立します。日本ばかりが、何故謝罪?と思われるお気持ちもわからなくはないですが、「侵略」の分の謝罪はやむを得ないでしょう。
過去を知る事は重要です。ですが、視線を戦前、戦中に向け、お互いをなじり合っても何も進展しないと思うのです。それよりも、日本政府は、戦後中国に対して行って来た「金銭的援助」を、政治的に上手くアピールし、中国政府の過去への怨恨の矛先を、上手くかわした方が得策と思います。
by どらとら (2005-09-02 02:04) 

マーク

たびたびすいません。盧溝橋事件が中共がやったことというのは世界的学会でほぼ確定している事実だと思います。すでに書いたとおり、「侵略」したのはシナであって、被害国である日本が謝罪するというのは逆さまではないかと思います。また、満州国には日本が関与していたのは事実ですがこれは侵略の根拠にはなりえません。世界的に認知された独立国ですし、中国の領土とは無関係の位置にあった国ですからなおさらです。日本が侵略したという人には、その根拠を聞いてみたいものです。日本がこれだけに侵略や虐殺をされ被害を受けて、日本が侵略されたというのが自然ではないかと思います。お互いなじりあうという問題ではなくて、事実は事実として受け止めるということが基本ではないかと思います。そして、中国のはぜひ謝罪してもらいたいと思います。
by マーク (2005-09-02 03:58) 

どらとら

マークさん、一つだけはっきりと言える事があります。
「満州国は、日本以外の国では認知されていない国」でした。

同じ日本人でも、見解がこれだけ違うのです。マークさんが思う、中国への要望が、中国政府に届くと良いですね。
by どらとら (2005-09-02 04:06) 

マーク

そんなことはありません、たとえばタイは認知していましたよ。
by マーク (2005-09-02 04:08) 

マーク

すいません、もっと詳しく書きます。

正式承認国
日本・中華民国南京国民政府・ドイツ・イタリア・スペイン・ヴァチカン・ポーランド・クロアチア・ハンガリー・スロバキア・ルーマニア・ブルガリア・フィンランド・デンマーク・エル-サルバドル

国書交換(準承認)
エストニア・リトアニア・ドミニカ

戦時中に承認
タイ・ビルマ・フィリピン・蒙古自治邦(内モンゴル)・自由インド仮政府
by マーク (2005-09-02 04:14) 

どらとら

世界的学会、と書かれるだけで、残念ながら学会名を特定されないので、学術レベルでどう認識されているのか知りませんが、Wikipediaレベルですと、マークさんのお書きになった通りの国々が満州を承認していることになっているようですね♪失礼しました。
黙認と承認は違うと言う説もありますから(http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/1937.html)歴史は立証が本当に難しいな、と感じます。
マークさんには、私のブログより、http://war.log.thebbs.jp/1092634483.htmlといった掲示板の方が、楽しく議論ができると思います。
又、もうなさっているのかもしれませんが、ご自分のご意見を、国際学会等で発表なさるなど、国際的に貢献して行ってくださいね。
ご活躍を期待しております♪
by どらとら (2005-09-02 08:58) 

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