弓道にみる日英文化の違い、6月25日(土) [日英文化比較]
今日の本題は、日英「師匠養成スタイル」を軸にした「弓道にみる日英文化の違い」だ。
その前に、一言。昨日は、元所属の弓道会の錬成会であった。錬成会とは月に一度行なわれている、試合形式の内部の集いである。
最初に戦績から。
一手×○(一手(ひとて)=矢2本)
四矢二回××○○ ○○○×(四矢(よつや)=矢4本)
合計、10射6中。
私にしては良く中った。しかも5ヶ月ぶりの的前にしてのこの快挙。二度とないかもしれない。でも射形は美しくなかったようだ(先生談)。明らかに練習不足。家でできるような練習もしてませんでしたからね。反省。
それはともかく、今日の本題。
グラスゴー弓道会が始まって間もない頃、グループの英国人Rから、「高段者の先生だからという理由で、見た事も無い人を尊敬しろと言われても、実際、難しい。」と言われて、びっくりしたことがある。日本人の自分は今までそんな事を考えたこともなかったからだ。その後、このRの発言に関して、ボスや、もう一人の弓道会の英国人との議論により、自分なりにまとめたのはこうだ。
「英国人は、Authority(権威)に対して、隙あらば反証しようという気概に満ちている。」
「英国では、その人の出した成果とその人自身(人格)は意識の上ではっきり分離している。」
つまり、Rにとって、『高段者の先生方とは、弓道界の「権威」を象徴し』、それ故に、『一種の反発を覚える』。『先生方の出した「成果」が素晴らしい事は認められ』ても、会って確かめるまで、彼等の「人格」が素晴らしいかどうかわからない。実績だけではなく、人格も優れていなければ『尊敬に値しない』、と、こういう訳のようだ。
理にかなっているようにも思える。
しかし、日本人の場合、
「権威=その分野の第一人者だから、専門分野に関する彼等の発言は正しく、尊敬に値する。」
「その人の実績と人格が別物であることは分かっているが、意識するまではっきりと区別していない。」
という人が多いのではないだろうか。
特に、弓道のような伝統的な芸能では、未だ、無条件で「師匠レベル(一定以上の高段者)=素晴らしい、尊敬に値する」が成り立っていると思う。
恐らくこれは、伝統的芸能の日本的な極め方に由来していると思うのだ。日本古来の伝統芸能は、「技は盗め」である。師匠は手取り足取り教えたりはしない。弟子には、ひたすら見て学ばせ、自分なりに工夫しながらひたすら努力する事を要求する。そして、このプロセスの中で、師匠(親方)自身も技の追求にいそしみ、さりげなく、弟子への愛を所々に織りまぜながら弟子が誤った方に向かないように、指示していくのである。
この「技は盗め」スタイルで、弟子が師匠(親方)になるまでには、何十年もの時を費やし、弟子時代に、忍耐、努力、慈愛といった日本の美点を獲得して行きながら、技にも優れた匠になっていく。こういうプロセスのため、「師匠=技、人間性共に素晴らしく、尊敬に値する」が成り立っていたといえよう。
しかし、このスタイルは、全く英国(西洋)には全く存在しない。よって英国では、技術的にも人格的にも眉唾ものの、自称「師匠」が沢山存在し、技術の方は、スポーツであれば大会の実績などでわかるものの、人格は、実際見るまでは信頼できず、最初は疑ってかかるにこしたことはなかったのかもしれない。
伝統的師匠養成スタイルを持つ日本と、持たない英国、この差が、上記に示した、「師匠(権威者)」に対する国民的認識の差につながるのではなかろうか。
現在の弓道界でも、かなりの割合で「師匠=素晴らしい」的図式がなりたっているとは思うが、100%とは言えない。昔(江戸時代まで?)のように、弓だけで食べて行くことはできないため(弓を教えてお金を取ってはいけないことになっている)、何らか別の職業で身を立てる必要がある。昔のように、弓道に優れるためだけの鍛錬が何十年もできる訳ではない。よって、仕事と弓を両立させて、昔と同じ年数で師匠レベルにまで昇華させる為に、現在は、「見て技は盗め」よりも、師匠側がある程度「手取り足取り教える」、懇切丁寧指導法に切り替わっている。
すると、自分に厳しく、努力し続ける事ができ、集中力のある人が、短時間で師匠レベルに成る事ができる仕組みになる。昔と違うのは、「人格の鍛錬」が昔程重要ではなくなっていることだ。
これは、きっと今のビジネスでも同じであろう。例えば、大学教授であるからといって、残念ながら全員が人格者である訳ではない。ある程度の実績と、政治力があれば実際教授にはなれてしまう(ように見えますよ)。
多くの師匠が、人格的にも優れているのは事実だが、中には、「自分が最高だ」と自負する割には、技で際立つのではなく、他の人の在り方を否定する事でしか自分を際立たせられない人もいる。
こうして、師匠養成プロセスの中身が変わって来た為に、「師匠=無条件で素晴らしい」という割合が昔より下がっているように思うのは残念でならない。
日本の伝統芸能、スタイルは変わっても、最後に到達する師匠レベル人材の、技、人格は共に最高峰のものであって欲しいものだ。それが、弓道の最終目標、「真善美」を極めた人の姿であるはずなのだ。
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思ったんだけど、足助次郎重範は次郎っていうんだから、次男だったわけでしょ?それから光源氏も次男。ついでに私の甥っ子も弟が弓道やってます。ということは次男は弓道の才能があるってこと?考えてみれば、次男は長男のすることを見て育ってきているので、長男より冷静に状況分析ができる性格のはず。弓道…[続く]









最後のコメントは全く同感です。私がお稽古に行っている雅楽も昔は師匠と一対一で教わりながら師匠の一挙手一投足を感じて、学んでいったのだと思います。
私のお稽古の場合は、先生が“話し好き”(笑)のため特別講義(笑)がお稽古の合間にあるので知識もつきます。たぶん昔のお稽古ではありえないくらい話が長いです。30代の若い師匠ですが、尊敬できますし、「演奏が先生に似てきた」といわれることが、何よりも嬉しいことです。
でも、伝統的な権威の重みが薄れていく中で、新たな価値観を見つけていくことはとても難しいことだなーと思っています。
あ、そういえば、どらとらさんおかえりなさい。
by tukushi (2005-06-26 17:08)
高校のころ、弓道部でした。とりあえず初段までとりましたが、自分には向いていないことに気づいて辞めてしまいました。でも、いまでも弓道の精神は好きですよ。
どの種目でも「道」と付いてしまった時点で同じなのでしょう。上下関係が発生し、伝統と権威でがんじがらめ。だから日本はスポーツが発展しない。スポーツではなく「道」だから。
もう少し、「自分のため」と言う意識が醸成しないと前には進まないんでしょうね。
by 南雲しのぶ (2005-06-26 20:34)
職人と長い間.仕事をしていました。(なお私は職人ではありません)
アクが強い方もいましたが人格はみな良い方ばかりでした。
今は別の仕事をしていますが職人魂は忘れずにいきたいと思っています。
(まだまだですが人格は最高峰をめざしていきたいです。)
あれ.また記事とはずれたコメントかな...
by 黒い招き猫 (2005-06-26 21:15)
tukushiさん、こんにちは。
そうですね、伝統的権威の凄さは、今の世界では薄れて来ていますね。
雅楽も楽しそうで何よりです。音楽の鍛錬の中で何かを学び、そして何かが見えるのでしょうね。
はい、帰ってきました。その内またいなくなりますが(笑)。
南雲しのぶさん、こんにちは。
なんと!弓道部!「おぉ〜」、と声をあげてしまいました。
高校、大学の弓道部はかなり特殊だと思います。学生さんの中でも、学校での必要以上に厳しい上下関係に、弓自体が上手くなる点を見いだせずに、一般の弓道会に来る方もいらっしゃいます。権威の頂点に立つ人も、現時点に満足し、あぐらをかいてしまうようだと、進歩が止まってしまって駄目ですね。更に、上下関係も、最終的に助け合いではなくて、足の引っぱりあいになるようでは意味がないですね。鍛錬自体は、本来、自分の為にあるはずなのですが…。
by どらとら (2005-06-26 21:23)
読み直したら書き忘れた。
職人魂が私のサムライ魂の大きな部分を占めていること。
by 黒い招き猫 (2005-06-26 21:46)
鋭い分析、面白く読ませてもらいました。
同じ弓道場に通っているドイツ人がそういう感じで、日本的な教え方がわからず、あまり上達しないという状況に陥ってます。師匠の言っている事を理窟抜きに尊重するというのが気持ち悪いそうです。
師匠と呼ばれる人はやはり心の鍛練もしている様に感じますよね。
by koichiro_t (2005-06-26 22:57)
黒い招き猫さん、こんにちは。
コメントを書いている間に、一個目のコメントをいただいたようです。追加のコメントもいただき、どうもありがとうございます。
そうですか、職人さん達とお仕事をされていたのですか。職人さんというと、「職への誇りとこだわり」「自分に厳しい」というイメージがあります。仕事で色々な職業の方と出会えるのは、本当に楽しいし、学ぶ所もありますよね。
人格は最高峰で、カミカゼはやらないサムライ魂に溢れ、病気知らずの(笑)「黒い招き猫さん」を目指して下さいね。
koichiro_tさん、こんにちは。
そうですか、koichiro_tさんの道場でもそういう事がありますか。
ロンドンの道場で仲良くさせてもらっているフランス人Cは、かなり日本式な教え方に慣れている弓道愛好家です。その弟さんが道場に遊びに来た時、Cが先生の言う事に対して、どんな事を言われてもうなずくので、弟さんが気持ち悪がって、「Cは、カルト集団に洗脳された!」と言って帰り道、パニックになったそうです。西洋人には、「とりあえず、どんな事でもacceptする」という態度は異様にしか映らないようです。
by どらとら (2005-06-27 00:37)